『生命倫理』(日本生命倫理学会, VOL.35 NO.1, 2025 SEP.)の巻頭言「安楽死は逸脱する」の誤りについて

盛永審一郎    

「安楽死(合法化)問題を検討するとすれば、こうした国連の委員会などの批判や懸念を視野に収めることなしには十分なものとはなりえないだろう。それをとりあえずここでは確認しておきたい」、『巻頭言』はこのように締めくくっている。

そこで、ご指摘の『国連障害者権利委員会報告書』(Committee on the Rights of Persons with Disabilities, Concluding observations on the combined second and third periodic reports of Canada, 15 April 2025;以下『国連報告書』)を読むと、すぐにいくつかの間違いを重ねて、我々の目の前に「事実」として(意図的ではないとしても)「捏造」されて報告されていることが判明した。

①    『巻頭言』筆者(以下A氏)の『国連報告書』のケベック州高裁判決内容が『国連報告書』原文と照らすと(意図的にか?)改変されている。

②    『国連報告書』でケベック州高裁判決とされる内容も、ケベック州高裁判決文章そのものと比べると(意図的にか?)改変されている。

③    さらに著者は(意図的にか?)『国連報告書』に技巧を凝らしている。

『国連報告書』で批判されているカナダの安楽死の法律とは、安楽死新法(BILL C-7; ASSENTED TO March 17, 2021)であり、この法律は法律C-14『刑法を改正し、その他の法律(死の医療援助)を改正する法律』2016年6月17日(;Bill C-14: An Act to amend the Criminal Code and to make related amendments to other Acts (medical assistance in dying))』に対するケベック州高裁判決(Truchon c. Procureur général du Canada, 2019 QCCS 3792 (CanLII))を受けて成立したものである。

それではこの『巻頭言』で問題とされているケベック州高裁判決の内容を、高裁判決文、『国連報告書』、A氏訳の三つで比べてみよう。

ケベック州高裁判決(要点):連邦法の規定における「合理的に予見可能な自然死」(MAIDの適格要件(2)(d))という要件は、カナダ憲章第7条[1]および第15条[2]に基づく原告の基本的権利を侵害すると判断した。同様にケベック州の規定における「終末期」(MAIDの適格要件(c))という要件も憲章第15条に違反している。 

『国連報告書』:障害を持つ人々が医療による死の援助(MAID)をできるように変更した。

A氏訳:終末期から障害を理由とするものへと拡張する判決を下した。

①    A氏の誤訳(最大の誤り)――ケベック州高裁判決の『国連報告書』の訳

 『国連報告書』では次のように書かれている。

判決は、医療による死の援助の前提を根本的に変えるものであり、自然死が合理的に予見できる場合に限定されていたものから、障害を持つ人々に対しても医療による死の援助ができるように変更した“which fundamentally changed the whole premise of medical assistance in dying – from one restricted to cases in which natural death is reasonably foreseeable to one that establishes the possibility of medically assisted dying for persons with disabilities.”

ところがA氏訳は以下のようである。

「終末期から障害を理由とするものへと拡張する判決を下した」。

つまり、A氏訳では、例えば「身体障害」でも安楽死の理由となったというのである。これだと、あなたは身体障害だから安楽死してよい、ということになり、まるで、ヒトラ―のT4計画の命令書、障害者に「恩寵の死」を与える、となる。したがって、カナダの安楽死法は、自発的な安楽死から非自発的な安楽死へと、滑り坂を滑るように逸脱することとなり、本「巻頭言」の表題「安楽死は逸脱する」は正しいとなる。

しかし、この訳は二つの誤りを犯している。一つは「障害者」と「障害」を同一視する誤りである。障害者とは障害を持った「人」であり、障害を持っているかどうかで人権を失うような「存在」ではない。もう一つは、障害は安楽死の十分条件だとしたことである。原文では障害は安楽死の十分条件だとは書いていない。「身体障害の患者も(ほかの条件が満たされれば)安楽死できるように変更した」としてある。したがってカナダ新法は、A氏が主張するように「障害者が障害を理由に安楽死ができるようにした」のではない。

②    それでは、『国連報告書』の誤りとは?

「障害者がMAID(医療による死の援助)をできるように変更した」――この『国連報告書』による判決文では、今回の安楽死法改正により「障害者も安楽死できるようになった」と捉えてしまう。だから、『国連報告書』は、法改正で障害者が安楽死へと駆り立てられるのではないかと懸念を表明することになる。ところが、実は法改正の前にも、障害者も要件を満たせばMAIDができた。それなのに、あだかも今回の改正で、障害者がMAIDをできるように変更したと報告している。今回の改正で障害者が安楽死のターゲットにされるという由々しき事態が出現したと。

『判決文』と『国連報告書』の違いをもう一度繰り返すと、『判決文』は、カナダ刑法C-14に対しては「自然死が客観的に予見できなくても」、あるいはケベック州法に対しては「終末期でなくても」、「重篤かつ治癒不可能な病気、疾患、または障害を持っている患者」の安楽死のアプローチを認めた、ということである。それに対して、『国連報告書』ではこれまでは障害者は安楽死できなかったが、「障害者が安楽死できるようになった」ととらえている。しかし以前の安楽死法においても障害者も(自然死が予見できる場合)にはMAIDができたのであり、『国連報告書』の言う今回の法改正で「障害者もMAIDができるように」変更したというのは誤った理解といえる。だからこの誤解に基づいて、『国連報告書』ではこの判決は、国家主導の優生学プログラムへの後退と見なされ、批判されることになったのである。

さらに新法(C-7)を読むと、「自然死が客観的に予見されない」場合には、「最初の評価日からMAIDが実施されるまで最低90日の期間を置く」という「保護措置」も新たに付けられている。だからたんに終末期でもない患者に道を開いたということではない。新たな「防波堤」も設置されている。

 

以上みてきたように、『国連報告書』ではケベック州高裁判決内容をこれまでも障害者が安楽死できたにもかかわらず、この判決で「障害者が安楽死できるように変更された」と誤って理解し、さらにA氏は判決内容を「障害を理由に安楽死ができるように変更された」と誤訳し、安楽死を法制化すると、最初の要件が緩和されて自発的安楽死から反自発的安楽死へと「安楽死は逸脱する」と批判しているのである。そしてこのような誤りに基づいて捏造された安楽死批判を、安楽死を法制化する議論の際には「視野に入れるべき」と要求しているのである。

③    技巧を凝らしている点

“Euthanasia goes beyond the bounds.''―Observations of the United Nations Committee on the Rights of Person with Disabilities, 2025 という「巻頭言」(『生命倫理』VOL.35 NO.1,2025 SEP.)の英文表題について考えてみよう。国連障害者権利委員会は、「安楽死は逸脱する」などと述べていないにもかかわらず、そのように述べたと読者に思わせる「表題」を掲載している。これは悪く解すれば、あたかも国連障害者権利委員会が「安楽死は逸脱する」と主張していると読者に思わせるように、A氏が意図的に作為したものと捉えることもできる。A氏は、この表題が国連報告書に「適切」と考えて冠したのかもしれないが、『国連報告書』には「安楽死は逸脱する」などと指摘している個所はどこにもない。それどころか、『国連報告書』は、カナダの安楽死法を直接には批判してはいない。ケベック州高裁判決をそのまま政府が受け入れてC-7法を立法したことに対して強い懸念を示しているのである。

またこの「安楽死は逸脱する」という文章は、A氏によるとラ・クロワ紙の意見欄に掲載されたフランスの安楽死法立法に対する批判の文章からの引用だとのことである。とするとフランス語で書かれていたわけで、それをなぜ英訳してまで、国連委員会の報告書と結びつける必要があったのだろうか? 読者は英語しかわからないと考えているのだろうか? そうではなく英語にして、さも国連委員会報告書が「安楽死は逸脱する」と主張しているかのような印象操作をしたのでは、と疑念を持たせる。おそらくこの「フレイズ」と『国連報告書』とを結びつけることで、安楽死を法制化すると逸脱が起こるという「滑り坂論証」を権威付けたかったのだと思う。

以上の他に訳文か、著者本人の文章か、不明の文章がある。多分あまり訳文ばかり書くのを筆者はためらったのか、まるで自分が検証した文章のように書いているところが見られる。

そこには、障害者の 「苦しみ」を生み、増幅させるのは不平等と差別だという認識はなく、「障害者が 尊厳ある生活を送ることを可能にする無数の支援オプションを軽視する障害者差別的な思い込み」があるだけである。政府自身の統計からも、カナダが健康と福祉の社会的決定要因に対処しそこなっていることは明らかである。「医療的な死の援助」は「障害のある女性および疎外された状況にある障害のある人々に不釣り合いに多く利用されており」、「殺害される障害者の数は増加傾向にある」。委員会は、カナダが2027年以降に安楽死を「唯一の基礎疾患が精神疾患」の人や未成年者へと拡大予定であることにも反対を表明している。

 

文中の「政府自身の統計からも、カナダが健康と福祉の社会的決定要因に対処しそこなっていることは明らかである」は括弧が外されている。とするとこの文章はA氏本人の文章ということになる。だとするとA氏本人が政府報告書を読んで、そう確認したということになる。A氏は一体どの報告書を読んで、そう結論しているのだろうか。そうではなくて、この文章も国連文章の中に書いてある文章の引用である。なぜ彼はこの文章だけを「 」を外して書いたのだろうか? おそらくA氏がその事実を確認したという風に書くことでこの記事の事実性を証明しようとしたのではないだろうか。

その他、誤訳によるものかどうかわからないが、『国連報告書』の内容を変更しているところもある。

A氏は、「国連障害者権利員会は、障害者権利条約10条「生命に対する権利」の侵害ということを強く懸念している」と書いているが、「2021年にC-7法案を通じて締約国の刑法が改正されたことについて(「生命の権利」という観点で)極めて懸念している」が『国連報告書』の正しい理解である。このようにA氏は一方的に『国連報告書』の内容を改変して伝えている。

以上つらつらとこの『巻頭言』の誤りを指摘してきたが、最後に一言。『国連報告書』を山車にして、カナダをはじめとする安楽死を法制化した国々がまるでナチス・ドイツのように障害者を「安楽死」法で死へと駆り立てていることを「視野に収めるべき」と述べる前に、カナダが障害者のインクルーシブ化への障壁を軽減するために、例えば、「カナダアクセシブル法」の採択(2018)や、「カナダ障害者包摂行動計画」の実施などの処置を講じていることをA氏こそ「視野に収めるべき」でないだろうか。

参考として、肝心のカナダの安楽死法の旧法の適格要件について書いておく。

刑法C-14(2016) 

241.2 (1) 医療による安楽死を受けることができるのは、以下のすべての基準を満たす者に限られる。

(a) カナダの公的医療制度の受給資格を有する者、または資格取得のために適用される最低居住期間もしくは待機期間がある者。

(b) 18歳以上であり、自身の健康に関する意思決定能力を有する者。

(c) 重篤かつ治癒不能な病状を有する者。

(d) 外部からの圧力を受けることなく、自らの意思で医療による安楽死を希望する者。

(e) 緩和ケアを含む苦痛を和らげるために利用可能な手段について知らされた後、死に至る際に医療援助を受けることについてインフォームドコンセントを与えること。

(2) 人は、以下の基準をすべて満たしている場合にのみ、重大で回復不可能な病状を持っている。

(a) 重篤かつ治癒不可能な病気、疾患、または障害。

(b)能力の不可逆的な低下の進行した状態にある。

(c) 病気、疾病もしくは障害又は衰退状態により、自己にとって許容できると考える条件下では耐え難く緩和できない身体的若しくは精神的苦痛が生じる場合。そして

(d)残された具体的な時間の長さに関して必ずしも予後が確定していなくても、自然死がすべての医学的状況を考慮して合理的に予見可能になっていること。

刑法C-7(2021)は、(2)の(d)を削除した。

以上



[1] 7 すべての人は生命、自由及び身体の安全に対する権利を有し、基本的人権の原則に従う場合を除き、これらの権利を奪われない権利を有する。)
[2] 15 (1) すべての個人は、法律の下において平等であり、差別なく、特に人種、国籍または民族的出身、肌の色、宗教、性別、年齢、精神的または身体的障害に基づく差別なく、法律の平等な保護と平等な利益を受ける権利を有する。)

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